第3回生
安城市議会議員
神谷 昌宏さん
3回生の神谷昌宏(安城市議1期目)と申します。1回生の石上市議(同2期目)からのバトンタッチですが、11回生の永田市議(同3期目)よりも先にバトンを頂戴することになりました。市議の経験年数ではなく、東高の期生を優先すると説得されましたので、お先に失礼し、古き良き高校時代を懐かしみながら当時を懐古してみようと思います。
3年生の夏休み前半までは、野球部で過ごした映像以外、正直思い浮かんできません。当時、青年監督であった渡会先生の下、ただ、がむしゃらに白球を追いかける毎日でした。休みは盆・正月にそれぞれ一日。とにかく練習はきつかった。
2年生の夏、一宮球場でベスト16を賭けて、初めて私学4強の一角、享栄高校と戦いました。図体の違う相手のユニホーム姿は、同じ高校生と思えなかった記憶が鮮明に残っています。今思えば完全な「気後れ」でしょう。
3年生の夏、4番主将として臨んだ最後の夏、1回戦で中村高校と対戦しました。確か7-3で劣勢の5回の攻撃、2アウト満塁で打席が回って気ました。カウント2-3になり勝負の球・・・ 肩口から入ってくるカーブにバットが動きませんでした。『見逃し三振』。今でもその甘いボールの残像が時々夢に出て来て、明け方うなされることがあります。そのボールは縫い目が見えるくらいの絶好球だったので、打てなかったその球を何とか打ちたいと、しかし、夢の中でも手が動かないのです・・・
夏休み以降、受験勉強に向き合うことになり、理系クラスでありながら、物理と化学に全く着いていけなくなり焦っていた私は、何故あんなことを申し出たか、何故あんな勇気があったのか未だに分からないのですが、当時国立主義の学校理念に反し、担任で物理のM先生に、放課後、「私学の文系を志望します。それで、先生の物理の授業中に西洋史の勉強をさせてください。お願いします。」と懇願してしまっていたのです。
M先生も既に教職から離れていて、時効ということで公表してしまいますが、私からの暴挙に対し、M先生は「オレ知~らね~」と突き放しつつも反対せず、クラスのみんなもそのことを許してくれ、物理の時間中、一人西洋史の参考書を開いていました。
2月、スベリ止めの私学2校の両方ともスベリ、好感触もないままに、本命のN大学の合格発表に出向いたら軌跡の合格を果たしていました。今思えば、あの夏以降、「見逃し三振なんて嫌だ」「自分の行動に後で後悔したくない」ただその、自分に対する反骨心で過ごした半年であったような気がします。
卒業式の日、体育館からクラスメイトと教室に戻り、卒業証書を一人一人もらう場面。私が教壇のM先生の前に出ると、ぶっきらぼうな先生は「みんな、このクラスに軌跡が起こったぞー、わけのわからんことが起きたぞー」と、くちゃくちゃの笑顔で祝福してくれたのです。
先生、そしてクラスメイトに迷惑をかけながら、今の自分があるのだと改めて感謝する思いです。東高の思い出・・・
2008/09/12